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「弥彦編」

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 さて、その翌日のこと。
 左之助は、ぶらぶらと日中の町を歩いていた。
 目的がある訳ではないが、とりあえず赤べこにでもお邪魔して昼食を取り、腹ごなしに土手でも歩いて銀次達と博打を楽しんでから、また神谷道場にでも顔を出そうかなあと考えている。
 勿論目当ては夕食なのだが、今回は少しばかり昨日もめた件の方も引っかかっていた。
 弥彦の怪我が増えていると心配していた薫に、昨日は「様子を見ていろ」と言い切った左之助ではあったが、その実案外生真面目なところのある弥彦が、よそで悪戯や喧嘩をしているとはあんまり考えていない。
 剣心や自分と一緒になって事件に首を突っ込む様になってから、弥彦の腕は相当上がっている。根性だってあるから、自分より弱い連中と喧嘩をするなんて真似は絶対にしないだろうし、無闇に喧嘩を売るなんて論外だ。もし何か厄介事に巻き込まれたと言うのなら、自然相手は大人もしくは弥彦より強い人間、と言うことになるだろうが、それにしたって。
(他人に自分のケツ拭いて貰う様な情けねぇ奴でもねえだろ。嬢ちゃんの気持ちも分かるが、あの野郎は充分自分で落とし前つけられる奴でぇ)
 生意気なガキだが、根性の方は左之助だって認めている。
 だからこそ無用な手出しをする必要はないと考えたのだが、だからと言って何もしないで済ませるつもりもさらさらなかった。
 丁度平穏続きで退屈していたところなのだ……つまりは自分の好奇心の方を満たしたいなぁと言う本心で、神谷道場に顔を出すつもりでいた訳なのである。
 ところが、
(お? 噂をすれば、奴じゃねえか)
 ぶーらぶらと目的なく歩いていた筈なのに、角を曲がって土手道に出た途端、遥か前方に見慣れた背中を見つけて左之助は目をぱちくりさせた。
 弥彦だ。道場着ではないし一人だったので、赤べこの手伝いの帰りか、それとも別件で外に出ていたのか……などと予想をつけつつ、左之助は何気に弥彦に声を掛けようとした。その時、
「…………覚悟っっ」
「やっちまえっ!」
 奇妙な歓声にも似たかけ声と共に、横手の土手からぱっと躍り出る四つの人影。
 大仰な登場に思わず「は?」となった左之助の前で、彼らは一斉に弥彦を取り囲むなり問答無用で竹刀を振りかざした。
 だがしかし、暴漢にしては妙なのだ。何しろ相手はいずれも弥彦と同年代の子供だったのだから。
 一応形だけは何とかなっている態勢で、子供達は弥彦に襲いかかった。竹刀を使った滅多討ちとも思える戦法の様だが、弥彦はそれを見ても少しも表情を変えず、背中につけた竹刀に手を伸ばすこともない。
 そして、次の瞬間厳しい顔つきになって小さな刺客の姿をぎろりと睨んだかと思うと、
 ざっ、
 と。見事後ろに飛びのき、それだけで全ての攻撃をかわしてしまった。
 武器を使う必要もない、と言わんばかりの慣れた身のこなしだった(実際嬢ちゃんの攻撃を毎日避けてるんだから、慣れてんのかもな。と左之助は思った)。
「おいっ」
「避けたぞ。卑怯者!」
「卑怯なのはどっちだ。だまし討ちしか出来ねぇのかよ、なっさけねえな」
 狼狽する子供達。対する弥彦は、四人並んでぜいぜい言っている彼らとは対照的に、すっかり冷めた様子で溜息をついた。
「昨日は町中で荷台転がして、今日はだまし討ちって訳か。おめぇら、一人でかかってくる根性もねぇのに良く偉そうな口たたけるよな」
「うるさい! 偉そうな口叩いたのはお前の方じゃないかっ」
「そうだ。俺らみたいな弱い奴には絶対負けない、確かにそう言い切ってたよなぁ!」
「ちゃんと聞いたんだからな、言い訳すんなよ!?」
「そうそう。今更恐がっても遅いんだぜ、水澤さんは本気で怒ってるんだからな」
「何が怒ってるだ。手下に卑怯な真似ばっかりさせやがって……自分が惨めになる様なうざってぇことしか出来ねぇなら、さっさとあの暴言引っ込めりゃ良いだろうが」
 おや。と、何となく土手の反対側に並ぶ木々の影に隠れながら、左之助は思った。
 意外なことに、弥彦はどうも本気で怒っている様なのだ。
「帰って水澤に伝えとけ。かかってくるならてめぇで来いってな」
「ち……畜生」
「後で吠え面かくなよ!」
 口々に情けない台詞をはいて掛け去る四人の子供達。その後ろ姿を何をするでもなく見送った弥彦は、やがてぱたぱたと砂煙で汚れた着物の裾を払い、再び歩き出した。
 左之助が木陰から出たのはその姿が随分と遠くなってからのことである。
(成程ねぇ。コレが昨日の怪我の本当の理由ってヤツか)
 荷車がどうとか言っていたから、恐らく昨日もこんな不意打ちを受けたのだろう。
 あーんなガキ共にやられるなんざ修行が足りねぇ証拠だなと偉そうに考えてみたりしたが、しかし不意を付かれれば相手が誰であろうと無意味ではあるかも知れない。
 だが、よりにもよって弥彦が、この程度の攻撃に真剣に腹を立てるとは。
 彼らしくないし、何より今耳にした言葉の幾つかが左之助の心に引っかかっていた。どうやら弥彦は水澤とか言う奴の暴言に腹を立てた様だが……。
(何なんでぇ、その暴言ってやつは?)





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