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「デッド・トラップ」

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 何か異常事態が起きている。
 気分が悪いからと、ミストリアへの伝言を同じ講義クラスの生徒に告げてから、ナギは急ぎ足で寮の自室へと向かっていた。
 何かが起こっているのは分かる。
 でもそれが何なのか分からなくて苛々する。
 根本にあるのはナギの過去。
 記憶操作によって失われた、もしくは深層心理に形を変えた、ナギ本来の記憶。それが鍵。
(思い出す必要があるの? そんなこと)
 勿論、ない。その筈だった。
 何故なら彼らはナギの抹殺すべき……ベルデが告げた依頼にあった組織名“ハン”のエージェントだったのだから。

『学園に特別講師として招かれる病理学者ミハイル・ノイマンの暗殺と、彼を目的として現れる某組織のエージェントの抹殺』

 某組織、の部分にはハンと言う名が入るのだった。
 だから二人の口からその名を聞いた時、捕らえたターゲットの存在を改めて確認すると共に、やはり、と思う気持ちがあった。やはり彼らが、と。
 わざわざペルソナ程の組織が名指しでエージェントの抹殺を依頼しなければならない程の組織……ハンには、ナギの知らない秘密が隠されているのだ。
 部屋につくなり、ナギは参考書と筆記用具をベッドの上に放り投げ、デスク上のコンピュータに手を伸ばした。
 部屋の鍵はもちろんのこと、窓の鍵もチェックしてから電源を入れて、ハックを開始する。
 室内に響くキーの音。
 ナギの動きよりも鈍いその反応速度に唇を噛みながら、それでもキーを叩いた。
 やがて、かすかな音を立ててデータが流れてくる。


【ハン・第二シュテム,コルテム外部に位置する組織。所属エージェント数は数十名程の小規模組織で,創始者兼代表は中国人女性・玉怜(ユイリン)】


(……私、何をしてるんだろう)
 ナギはふと、手を止めた。
 これは明らかにペルソナに違反する行為だ。
 カイ達は気付いていないが、ナギの仕事はノイマンと言う生き餌を使ったハンのエージェントのあぶり出しと、抹殺にある。
 その標的が自ら現れたのだから、後は二人を始末してノイマンを処分してしまえば、全ては終了する筈だった。
 それなのに。
(私がハンについて知る必要はない)
 ……だが、ハンはナギを知っている。
 しばしの躊躇の後、観念したナギはペルソナのデータバンクを開き始めた。
 逆探知されればすぐに電源を落とせる様に注意しながら、ゆっくりと捜し出したそれは、トップシークレット扱いになっているデータだった。


【ハン・最重要警戒グループ。
創始者兼現代表である中国人女性玉怜は,XXXXXXプロジェクトに当初関わったメンバーの一人。XXXX年XX月,ハン壊滅計画始動,失敗。これは当時X憶操Xの被検者だったXXの裏切りによるものである。XXはベルデ代表の記憶を挿入されるも,その後生存不明】


    X個所データ抹消の為呼び出し不能。

       データ検索 続けますか?

          “YES”

【玉怜・最重要警戒人物。
XXXXXXプロジェクト関係者。後,ペルソナに反する“ハン”を組織する。その目的はXXXXXXプロジェクトの妨害でありまたハン壊滅計画当時よりノイXX氏と接触を持つ。危険人物。本来はベルデ代表のXXXXXとして,あらゆる資格を有……………………ERROR,ERROR,ERROR…………………………そこにいるのは誰だ!】



 ばん!
 咄嗟に、ナギはコンピュータの電源を落とした。
 今のは何だ。
 あらゆるデータ個所が消去されて、ほとんど読み取れなくなっていた。
 それに逆探知寸前で読み取りにくかったけれど……。
(ハン、と言う組織の創設者は、ベルデと何か繋がりがあった?)
 それもペルソナのトップシークレット扱いになる様な、そんな人物として。
 残念ながら“メイ”と言うデータは存在しなかったが、どうやら抹消されたらしい形跡を見つけたから、これも相当の極秘データになるのだろう。
(まずいな……かなり乗せられてる)
 何も知らずに何も聞かずに、ただ仕事だけをこなす為の駒、それがエージェント。その存在理由を決して疑ってはいけない、とナギは教わってきた。
 今なら引き返せる。
 ハンに関わらず、いつも通り仕事をこなせば良い。
『メイって名前がどっかに残ってる筈よ、実験でガタのきたその心の中にもね』
 そっと視線をサイドテーブルに移すと、引き出しの中にある薬を取り出した。
 昨日は朝方飲んだから、そろそろ服薬の時刻になる。けれど。
 その薬を、もし今日飲まずにいたのなら。
『ガタのきたその心の中にも』
 記憶が。
「残ってるの、まだ私の中に」
 指先がひどく冷たくなっていた。
 そんな真似をする必要はないと誰かが警告する。
 だがもう一つの何かが。
 ……メイ、を知っている。
 震える手で小瓶から大きな錠剤を落とし、口もとまで持ってきて躊躇した。
 やがては口に含まぬまま、錠剤を瓶の中に戻す。
 薬が切れた時の苦痛と恐怖を知らない訳ではない。頭の中に詰められたデータが制御不能となり、混乱を起こしたあの状態を。
(でも、ほんの少しだけ。意識を失う寸前に薬さえ飲めれば、何とかなる)
 あの状態でなら。
 失った筈の記憶の断片が得られるかも知れない。








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