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「デッド・トラップ」

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「事の起こりは一人の少年から」
 ぽつり、とカイは言葉を紡ぎ出した。
「ドイツの高官を父に持つ少年は、その才知からあらゆる特権階級の人間達にもてはやされた。様々な機関が彼を望み、だが彼はある信念を持って時を待っていた。それがあの、ベルデ・シュミテン」
 ベルデ……。
 いつしか夜も更け、しん、と静まり返った女子寮の一室。
 ぐったりとしたまま自室のベッドに横たわったナギは、カイの言葉にじっと耳を傾けていた。
 ベルデ。
 その名にかすかなあたたかみを感じるのは、記憶操作の為なのだろうか。ナギには判断出来ない。
「条件を満たした機関が現れたのは、それからまもなくのことだ。当時ドイツにはネオナチのグルーピーが存在したけど、表面的な外国人排斥運動なんて目じゃない、更なる危険思想を……アーリア人至上主義国家を目指した右翼組織が、ベルデに連絡を取った」
「あのヒトラーが成し得なかった理想国家を作るために手をかしてくれってね。ベルデの望みは自分の力を試すこと、世界を変えること、不可能を可能にすること。彼は勿論承諾したわ。そうして、悪夢が始まったの」
「悪夢……」
 エリノアの重い口調に割れ知らず呟きが漏れる。
 その言葉に、エリノアは頷いて見せた。
「ベルデはゆっくりと悪夢の種を育てたわ。ドイツ国籍の病理学者が、研究の副産物として新種のウイルスを生み出したのがこの頃。ベルデはこの病理学者に国からの援助を取りつけ、ウイルスのワクチン研究を進めさせたの。その病理学者の名がミハイル・ノイマン。もう分かるわよね。ノイマンは国家の英雄なんかじゃない、SOTEウイルスを生み出した張本人だったのよ」
 予め、ワクチンはプロジェクト関係者達に接種された。
 ウイルスが変異するたびに接種を行い続け、彼らは何の危険もない高みから人々の死を見下ろし続けたのだった。
 ノイマンはその間、研究に没頭することによって、自身の生み出したウイルスが人々を絶望の縁に叩き落として行く現実から目を逸らし続けた。
 次々に奪われる命、けれど罪から目を逸らせずにいた人間も居たのだ。
 ベルデがこのプロジェクトを進める以前からの知己だった、玉怜、と言う名の女性。
「玉怜はこの現状を目の当たりにして、プロジェクトからの脱退を決意した。その後、ドームの設立とペルソナの創設とを機に、新たな組織を作ったんだ。ハンと言う名の組織を」
 ハン。恨、の隠し名を持つ組織。
 そこには様々な人間が集っていた。
 ペルソナに恨みを持つ者、ペルソナ内部に居た過去を悔やむ者。
 彼らの望みはペルソナの壊滅、そしてその代表ベルデ・シュミテンの愚行の妨害。
 或いは……旧ドイツの理想国家への道を閉ざすこと。
「ハンはペルソナに比べたら、そりゃあ小規模な組織に過ぎないわ。でも玉怜がいる。ベルデの過去を、そして彼の頭の中にある計画の全容を知る玉怜が。ベルデはスパイを派遣して玉怜を殺そうとした。記憶操作によって深層意識を操られた少女……つまり、このあたしを使ってね。だけど作戦は失敗して、それ以来ずーっとあたしはハンに居る」
「あの部屋で会った時、苦しんでいたのは……記憶操作の副作用の為だったのね」
「……ナギ。俺達の目的はあんたの持つ薬と、それにあんた自身だった」
「私? 私を、どうするつもりだったの」
「鈍いわね。あたしみたいにハンに来ないかって言ってるのよ。ペルソナはあんたを利用してるだけで、今回のことだって、多分罪の意識に耐えかねたノイマンの口封じの御膳立てみたいな仕事でしょ。暗殺なんて」
「何故、それを」
「普通にノイマンが亡くなったら、多分旧ドイツを快く思わない首脳陣がこれ幸いと調査を開始するからよ。でも暗殺となればどこのエージェントが犯人か分からない。もしあんたがミスって捕まる様なことがあっても、記憶操作のお陰でトカゲのしっぽ切りも可能だわ。ペルソナは見事、ノイマン暗殺の好舞台を作り上げた」
「ただ一つ、何でノイマンがそんな見え見えの罠にハマったのかって疑問が残るけどな」
「ねえ、あたしの言ってること、分かるわよね? あんたはペルソナに利用されてるのよ」
「だから、何」
 短く、ナギは言った。
 変わるがわる話す二人の姿を異端視する様な仕草で。
「ミスを犯せば切り捨てられるのは当然のことでしょう。それが何故いけないの? メイ。いいえ、エリノア、と呼ぶべきかしら。今度は私が質問するわ。名前まで変えて、貴方は本当に自分を取り戻せたの?」
 ……脳裏に思い描く黒い銃身。眼前に並べるのは知っている人。
 多分まだ、ナギは撃てる。エリノアを、カイを。
 そこまで考えてから、ナギはどきりとして思考を止める。
 カイの淡い紫の瞳が、じっとこちらを見ていた。
 何もかも見透かす様な色で。
「……エリノアって名前はカイがくれたのよ。だからメイは死んだの。取り戻せたんじゃない、あたしは見つけたのよ。あたし自身を」
「ベルデ・シュミテンは狂ってる」
 不意のカイの呟きに、ナギはようやく反応した。
「先導者が狂ってることなんて珍しくないわ。狂気と才能は紙一重でしょう」
「そう簡単に割り切れるもんじゃねえだろ? 切り捨てられるって聞いて」
「私達はその為の存在だもの」
 ナギの声に迷いはなかった。
 考える間も。すぐに戻った返答にカイは束の間言葉を失う。
「……それは」
「カイ、無駄よ。こいつに寝返るなんて真似出来るもんですか。悪いんだけど、あたしの用はもう済んだから、帰るわ。後はカイが好きな様に、無駄な努力でも何でもすれば良いんじゃないの!?」
 言い捨てるなり、エリノアは荒々しい動きで部屋を出て行った。
 やがてしばしの間を置いて、カイもゆっくり立ち上がる。
「んじゃま、俺も行くわ。もし考えが変わったら、連絡くれ。協力するから。けど敵に回るなら容赦は出来ないぜ」
「その方が助かるわ」
 小さな溜め息を落として、カイは出ていった。
 ようやく訪れた沈黙の中、ナギはじっと目を閉じる。
(もう大丈夫)
 紫の瞳は消えてしまった。ナギを責める二つの蒼い眼も。
 だから。

 ……きっと、トリガーを引く指に躊躇はないだろう。







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