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「ジリエーザ」
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- 車を走らせて三十分。
高級住宅街の立ち並ぶ一角に車を停めると、俺は改めて明るい茶色の屋根の家を眺めた。
広い敷地、落ち着いた様子の外装。
手伝いの人間を何人雇っているのか、必要以上に広い庭の手入れもきちんと行き届いている一軒家だ。
……しかし。門を開け、庭に足を踏み入れた途端、俺は今抱いたばかりの感想に疑問を持った。
庭の手入れはそう行き届いている訳でもないらしく、よく見ればあちこち強引な手入れがされてあったのだ。
その様子には、まるで慣れない人間が時間に追われて仕上げた様な感がある。
(……妙だな)
ここが、地図にあったルティカ・ノイマンの家だった。
とは言え掴めたのはそこが彼女の一人暮らし用の住居と言うことだけで、その他の家族……つまりミハイル・ノイマンの居住先については一切不明だったのだが。
玄関の前に立つと、俺は周囲に気を配りながら、ゆっくりとチャイムを押した。
しばらく待ったが、返事はない。
再び鳴らしてインターホン越しにルティカの名を呼ぶと、ようやく扉の向こうから、何か物音が聞こえてきた。
(留守でもなさそうだな)
奥の気配を探りながらそう確信すると、俺は懐の中のパイソンに手を馳せた。
事情は未だ分からないが、ここを出る際にクレスが口にしていた忠告と、レキが俺の部屋にまで来て言っていた言葉を思い出すと、この中にルティカではなく別の危険人物が居る可能性も無視出来ない。
出来ればこんな高級住宅街での銃撃戦は避けたい、とは思ったのだが。
しかし俺の心配は杞憂に終わった。
俺が強引に中に入り込むより早くに、インターホンから声が聞こえてきた為である。
『……誰? まさか、トキ?』
ルティカだった。
『トキなの?』
「そうだ、俺だ。何かあったのか」
『何しに来たの』
「何って、」
俺は眉をひそめた。
「外に用事があったんで、そのついでに来ただけだ。最近顔を見ていなかったから」
奇妙な沈黙が続いた。
インターホン越しのルティカはまるで息を潜めてこちらを伺っている様にぴりぴりしており、一体何があったのかと俺がドアノブに手を伸ばし掛けた時、ようやく中からセキュリティ解除の音が響いた。
「ルティカ」
「久しぶりね、トキ。他は誰もいない?」
昼前だと言うのに薄暗い室内で、ルティカはひっそりと立っていた。
棒立ちするその姿が余りにも生気を失っていたので、俺はつかの間言葉を失ってしまう。
「何かあったのか? やつれた様だが」
「……とりあえず入って」
乱れた髪をそのままにしたルティカは、だらりとしたキャメルのニットワンピースをまとっていた。
見ればその顔には化粧の跡さえなく、その余りの覇気のなさに俺は驚きを通り越して不吉な何かを感じた。
確かに、彼女の身の回りで何かが起こっているのだ。
招かれるままに室内に入ると、そこは居間だった。
ぴりぴりとした空気をまとったままルティカがこちらを振り返ったが、それより必要以上にがらんとしている室内の様子の方が、俺の興味を引いた。
「荷物をまとめて、どこかに行くのか」
「……分かってて来たんじゃないの? そうでなければ何をしに、こんな場所に来たのよ」
声には張りがない。
俺がどう答えれば良いのかと困惑しているうちに、更に彼女は言葉を重ねた。
「私を殺しに来たの、トキ」
「何だって?」
俺は呆れて、彼女の顔を見下ろした。
声の調子で冗談を言っている風でもなさそうだと理解出来るが、どうしていきなりこんな話になるのかがさっぱり分からない。
「どうしたんだ、一体。殺される様な真似でもしたのか?」
「トキ、貴方ほんとに知らないの? ベルデの命令でここに来た訳じゃないのね。双子が居ないのだって、何処かに潜ませているからじゃないのね?」
「おい。本気でペルソナに狙われる理由があるって訳じゃないんだろ」
「……トキ」
いつもなら気の強さを宿す筈の水色の瞳が突然潤んで、不意に涙がこぼれ落ちた。
「トキ。私、どうしたら良いのか。誰を信用すれば良いのか分からないのよ。連絡が取れなくて、コンピュータにもアクセス出来なくなってるの。こんなこと初めてだわ!」
「連絡?」
「父よ。あの人心臓が弱くて、娘の私ともろくに面会してくれない。病室に閉じこもりきりだったから、連絡方法はあの人所有のコンピュータにアクセスするだけだったの。なのにここしばらくずっと連絡が取れない。殺されたのよ、あいつらに!」
必死になって言うその姿は、怒りよりも恐怖を含んで揺れていた。
しかし幾ら彼女がノイマンの娘であるとは言え、そんな馬鹿げた告白をすんなりと受けられる筈がない。
俺は唖然として、もう一度その言葉を反芻した。
ルティカの父親が。
シュテムの英雄、人類の救世主である病理学者、ミハイル・ノイマンが死んだだと?
「それがもし本当なら、国を揺るがす大事件じゃないか。証拠もなしに簡単に決めつけられる様な話じゃないだろ? コンピュータでアクセスしてるなら、単に今は妨害が出ているだけだとか、何らかの理由で連絡が取れない状態になってるだけなんじゃ……」
「簡単にですって? 冗談じゃない、私だって調べたのよ。ベルデはうまく隠し通すつもりだったんだろうけど、父が私に全く連絡を取らなくなるなんて有り得ないことだわ」
「だが彼を殺してペルソナに何の得がある。彼の死は、むしろマイナスになる」
ペルソナは旧ドイツを母体として創設された組織だ。
その存在は常に旧ドイツの支援を受けて運営されており、故に同国の権力を強める材料でもあるミハイル・ノイマンはペルソナにとってもVIPなのだ。
その為ペルソナは、他にない様々な手段を用いて彼を保護している。
その彼が亡くなれば、シュテム内部での旧ドイツの勢力が削がれる恐れがあるのだ。
それをまさか、殺したなどと……。
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