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「ジリエーザ」

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 血を辺りに巻き散らしたままぐったりと力を失った身体を、俺は建物の裏手の更なる奥、草むらと小型の冷暖房外部ボックスとの陰に潜ませた。
 もともと住宅街の隙間で起こったことだから、隣人がこの死体に気付くまでにはもうしばらく時間がかかる筈だ。
 刺客が一人とは限らない。
 だが騒ぎを避ける為にまずレキが一人で出向いたと言うことも十分考えられたから、俺はそれでも注意をそらさずに、腹をおさえながらルティカの家に戻った。
 失血がひどい。応急処置を済ませても、動きが鈍るのはどう仕様もない。
 内心で「畜生」と呻くと、俺は壁に手をつきながら玄関を通り抜けた。
 血痕を残すのはマズいんだが、壁にちらほら残る赤は隠滅するのには付着し過ぎていた。
 何より今の俺には隠蔽工作をする気力がほとんどない。
「……なんてこと」
 声が聞こえたのはその時だった。
「何故ナシェルにまで、そんなことをしたの」
「…………」
 ルティカの声だった。
 神経をとがらせたその声に、俺は直感する。
 銃を向けられているのだ。
「ナシェルは何も知らなかったのよ! 私が全部勝手に計画したことで、あの子は初めから逃げるなんてこと、何も……なのに殺したって言うの! この、悪魔っ」
「答えて。ミハイル・ノイマンの死後、貴方はノイマンの代理の補助として動いてくれれば良い。それは、できない?」
「父を殺した癖に……そんなこと、死んでも引き受けるもんですかっ!」
「よせ、フィアー!」
 何故そう叫んだのか分からない。
 ルティカに詰問する声は、信じられないことに俺の良く知るもので。
 だけどそれだけじゃ分からなかったはずなのだ。アインのものなのか、フィアーのものなのか。
 飛び込んだ居間で俺が見たものは、俺に見せつける様に横に並んだ二つの影。
 小さな姿は俺の教え通り、しっかりと両手で銃を握りしめていた。
 咄嗟に部屋に飛び込んできた俺に、怯えと怒りに震えるルティカの顔がはっとした様にこちらを振り返る。
 そして、次の瞬間。
 弾かれて、崩れた。
 壁に血しぶきを残して。

*****

「トキ」
 しばらくの間、俺は動けなかった。
 どうしてここにフィアーがいるのか。
 思考がストップする中、初めて人を殺した為だろうか、奇妙に興奮した様子の少女の身体から哨煙の匂いが漂うのに気付いて、ようやく俺は事態を悟った。悟ることが、出来た。
「これが……ベルデからの、依頼か。実技訓練なのか」
「ああそうだ。君に協力して貰ったお陰で無事片付いた。礼を言わなければね」
 そしてフィアーの背後、キッチンから現れた姿が、俺を愕然とさせた。
 考えるまでもなく、そいつはまるで見たこともない様な男だった。ギリシア系の彫りの深い整った顔立ち。すらりとした姿にグレーのスーツを身に纏っている。
 それなのに何かが俺の勘に引っかかった。
 そう、男の姿にではなく、そのしゃべり方に覚えがあったのだ。
 しかしそんなことは有り得ない筈だった。第一、姿がまるで違っている。
 なのに俺は彼のその態度と口調に、誰かの姿を思い描かずにはおれなかった。
 ペルソナ代表、ベルデ・シュミテンを。
「何者だ。貴様」
「分からないかな。アインもフィアーもすぐに理解してくれたと言うのに。残念だよ」
 喉の奥でくつくつと笑う。
「調べが足りない様だ。まさか君も、ペルソナが遺伝子操作のプロジェクトにばかりかかり切りになっていと思っていた訳じゃないだろう」
「……ベルデ」
 小さく呟いたのは俺じゃなかった。
 銃を両手で握ったまま、緑の双眸を男に向けたフィアーが、その名を口にしたのだ。
「まさか、そんな」
「私は確かにベルデ・シュミテンだが、真実の私ではない。幾ら何でもこんな場所に一人で出向く程、私は愚かではないからね」
 訳が分からない。
 だが奇妙な不安が、俺の胸に広がりつつあった。
 フィアーを振り返ると、俺はその不安を振り払う様に短く問うた。
「フィアー。ベルデ・シュミテンから依頼を受けたのは、いつだ」
「昨日……」
 俺の口調に含まれる怒りに気付いたのか、フィアーはかすかに顔を俯かせながら、それでもきちんと答えてくる。
「朝の検査の時」
「俺は囮だったと言う訳だな。データにルティカの所在地を紛れ込ませたのは、誰だ」
 困惑した瞳でフィアーは唇を噛む。
 それから隣の男に視線を移すと、彼女の代わりに朗々とした声が答えを返してきた。
「私だよ。君にもサポートに回って貰うと、最初に説明した筈だ」
「サポート……」
 突然込み上げてくる笑いが俺を震わせた。
 我慢できなかった。
 腹の中で爆発しそうになったそれに、俺は顔を押さえながら荒い息を繰り返す。
「これが、サポートか。彼女を油断させる為に? レキも囮役と言う訳だな。アインはどうした」
「息子のナシェルを標的にしている。本部に戻れば報告があるだろう。私もまだ確認してはいないが、しくじることはまずないだろうと思うよ。並外れた頭脳の持ち主とは言え、相手は所詮ただの子供だからね」
 すらすらと流れる様に答えるその姿は、まるでベルデ・シュミテンそのものだった。
 質問したいことが次々と俺の中に浮かんだが、それらは形になる前に消えていく。
 口ごもった俺を、男は楽しそうに眺めていた。
「こんな所で立ち話する内容でもないね。ここは血の匂いで落ち着かない、戻ろうか」
 何の疑いもなくこちらに背を向ける姿。
 俺は咄嗟に銃を握っていた。
 まだ俺の方に顔を向けて、じっと様子を伺っていたフィアーが目を見張っている前で、間を置かずに、撃つ。
 鋭い銃声は確かに、男の心臓を背後から撃ち抜いた。
 だがそれとほぼ同時に二発目の銃声が鳴り響き、俺も床に膝をついて銃を手放す……二発目の銃声はフィアーの持つ銃からこぼれたもの。
 フィアーが、俺の右手首を撃ったのだった。
「…………」
 無言のまま抵抗を見せない俺に、フィアーは悲しそうな瞳を向けていた。
 責める様な追求する様な、どうしてと、声にならない声で問うその瞳の色をじっと見つめ返していると、やがて遠くから車のエンジン音が幾つも響いてきた。
 床の上の男の身体は、もう、ぴくりとも動かなかった。







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